4月13日に改正臓器移植法に基づいて、15歳未満で初めて脳死と判定された少年から臓器提供移植手術が行われました。
生前少年は「臓器提供意思表示カード」、「臓器提供の意思登録」、「家族へ口頭での臓器提供の意思」、これらに自分の「臓器提供をする、しない」の意思は明示しておらず、臓器提供は家族の承諾によるものでした。
少年は事故に遭い脳死とみられる状態になって主治医が家族に症状を説明、臓器提供もできることを説明しています。
昨年7月の改正で「本人の意思が不明でも家族の承諾があれば移植が可能」になり今回もそのケースによるものです。
でも、主治医から臓器提供の話を聞く前から両親(家族)は提供の意思を持っていたのでしょうか。
思うに、少年の事故の知らせを聞き病院に駆け付け、治療を見守るも主治医から回復が困難と知らされたとき両親(家族)が冷静でいられるわけがありません。
そして脳死の状態であること、臓器提供の方法もあると聞かされたら動揺して「身体の一部でも生きていてくれたら」「このまま火葬してしまうより人の役に立てるなら」と考えることもありえます。
私はいまでも「脳死が人の死」とはどうしても思えません。
古いと言われるかもしれませんが、医師が腕の脈をとって、瞳孔の開きを確認して時計を見ながら「ご臨終です」これが「死」だと思います。
身体にたくさんの管が付けられ、いろいろな計器に囲まれていても「心臓はまだ動いているし身体はまだ温かい」その身体から心臓を取り出してドライアイスの入ったクーラーボックスに入れヘリコブターでどこかの病院へ運んで行く。
本人が「提供の意思」を明示していれば当然それに従いますが、意思が不明なら「提供しない」として取り扱うのが本人の意思を尊重する上からして当然ではないですか。
「命のリレー」「命のバトンタッチ」このような美辞麗句で「家族の承諾による臓器提供」が美化されすぎていませんか。
今回の少年の提供によって心臓、肺、肝臓、膵臓と片方の腎臓、もう一方の腎臓と5人のレシピエントに移植が行われました。
レシピエントはドナーに感謝してもし足りない気持ちでいっぱいでしょう。
でも、少年が生きていたら提供の意思があっただろうか。そう考えると複雑な気持ちになります。
そしてもうひとつ気になるのは、臓器移植のドナー、レシピエントがあまりにもベールで覆い隠されすぎていること。
本人、家族のプライバシーはわかりますが、ドナー、レシピエントとも家族、本人の承諾を得るなどして公表してもいいのではないでしょうか。
昔、北海道立札幌医科大で初めて心臓移植が行われたとき、ドナー、レシピエントとも公表され、手術後のレシピエントの写真が新聞に掲載されました。
昔と今を同じには語れませんが、できるだけ情報は公表していくべきではないか。それが強いては臓器移植が理解を得られていくことになると考えます。

2011年05月01日

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