久しぶりに京都へ行ってきました。目的は「京都五山の送り火」を見ること。
 今年は何かと騒がれた「京都五山の送り火」ですが、行こうと決めたのは騒がれる前で以前から「京都五山の送り火」へは一度は行きたいと思っており、今回やっとその思いが叶いました。
 一泊二日でしたが、欲張らずに余裕ある計画で、ひとり夏の京都を楽しんできました。
 帰ったら旅のことを書くつもりでいましたが、あれだけ騒がれましたので、そのことについて少し書いてみたいと思います。
 そもそも陸前高田の薪を「京都五山の送り火」で燃やすことを言い出したのは誰ですか。
 陸前高田市側から「京都五山の送り火で陸前高田の薪を燃やしてほしい」あるいは、京都市または大文字保存会から「陸前高田の薪を京都五山の送り火で燃やしたい」と提案した訳ではありません。
 大分市の某美術家が大文字保存会へ発案したのがことの始まりです。
 なぜ、大文字保存会や京都市、陸前高田市はこの発案を熟慮せずに受け入れたのかがわかりません。
 また、陸前高田の薪は地元で燃やされてこそ、震災で亡くなった方々の霊を送るにふさわしいのではないかとも考えます。
 この安易な受け入れによって、陸前高田の薪を燃やす計画を発表すると放射能の汚染を心配する抗議の声が寄せられ結局中止に。
 しかし、今度は中止に対する抗議が殺到。
 そこで、別の薪を燃やすことで計画を実行しようとするも、その薪からも放射能が検出されたことでまた中止を発表。
 このような二転三転の態度に、陸前高田の戸羽太市長も「風評被害を拡大する」と怒りをあらわにしています。
 当然、陸前高田の薪を受け入れることを決めた時点で、放射能の汚染は予測されたはずですし、また何を基準に汚染とするかも定まっていません。
 さらに一個人からの発案をなぜ、その意図することを考えずに取り上げたのかも疑問です。
 結局、陸前高田市、京都市、大文字保存会に批判が集中し、某美術家は知らんふりで表にはでてきません。
 いっときは「陸前高田の薪を京都五山の送り火で燃やしたらいい」そう思ったかもしれません。
 でもよく考えれば「京都で燃やす必要があるのか」「ご先祖様、震災で亡くなった方々がはたして喜ぶか」答えはNOだと思います。
 多分、私と同じように考えて「NO」と言った人もいたはずです。
 その声を疎んぜず、もっと検討を重ねていれば、こんなごたごたは起きなかったと残念な気がします。
 京都ひとり旅についてはまたの機会に書きます。 
2011年09月01日